Yoga

「いま この瞬間」に 意識を向ける

茶道をアメリカに来てから習い始めました。
ヨガ同様 深い世界ということは理解していたつもりでしたが、
想像以上に、深く 味わいがあり、純粋に楽しめる部分と、学びになる部分があって刺激的な時間です。
ヨガと禅は浅からぬ関係があるので、禅の流れをくむ茶道とは、
哲学的な共通点を見出すことが多々あります。
真理とは、時代・文化を問わず共通するもののことを言うのだと思いますが、
こうしたとき 真理に触れるような思いがします。

茶道での まなび

さて、そのお稽古での学びの1つが、対象との向き合い方。
今日話す対象とは お菓子のこと。
いただくお菓子が いつも 美味しいのです。
当たり前なんです、美味しいのは。丁寧に選ばれているものなのだから。
でも、シンプルで素朴な、そっ とした存在感のお菓子がほとんどなのに、
はっ とさせられるような、風味、香り、素材を想起させる そうした美味しさとの出会いを いつも感じます。

ある日は 金平糖。
「金平糖なんて ただの砂糖の塊、砂糖の甘さだけのお菓子」という過去の経験による認識の私に、かすかに ぶどう香る 金平糖があることを、
無造作に手に取った たった一粒が教えてくれる。
その後の歯ざわりと、砕いた後の舌に溶けていくまでの質感。
この印象に、このお菓子は どこのものか、自分も探して手に入れたい気持ちになります。

一方で、

「この空間から離れて、同じお菓子を手にしていたとして、こんなに この味わいに 感動できるだろうか。」

対象との出会いが違っていたら。
私が対象と出会う心持ちが違っていたら。
この対象の持つ本質の良さに これほど気づけるだろうか と、度々思うのです。

この瞬間との 向き合い方

例えば、一分間に3、4個口に放り込むジャンキーな食べ方と、お茶席でいただくお菓子のように丁寧にいただく食べ方では、
自分が感じる 素材ひとつに対する印象や満足感は、大きく異なるでしょう。

精製砂糖を多く含む食品を始め、お酒、お茶は 必要不可欠な栄養素ではないので 嗜好品ということになるわけですが、嗜好品をドカドカ入れることは 体へ負担をかけることになります。
自分の体はゴミ溜め・使い捨てではないので、できればそういうことは避けたいものです。

一方で、丁寧に素材を味わい尽くすようにいただけるなら、
少ない量で 最大の満足を得られ、嗜好品は 味覚を刺激・開発し、自分の持つ機能を生かしていくことにもなります。

こういう向き合い方ができるなら、負担をかける食材でも、自分を生かし広げていくことができると 個人的には思っています。

マインドフルネスに 向き合う

「『いま、 この瞬間』に向き合っているものに 意識をそそぐ」
マインドフルネスという言葉が流布して久しいですが、私自身は マインドフルネスとはこういう状況のことを言うのだと思っています。

茶道には自分を「この瞬間」に向き合わせる力があると感じています。
そして、ヨガも あなた次第で「いま この瞬間」に向き合うツールになっていきます。

そうやって向き合うためには、ジムのエクササイズで見かけるような「動画を見ながら」「音楽を聴きながら」といった マルチタスクでやる状況では難しい。
お茶席で味わうお菓子のように、その瞬間に向き合っているものにだけ 意識を向けられる状態でないと、微細な部分・変化を見落とします。

体を動かすことは案外 簡単だけれど、コントロールは、体を微細に感じて はじめて、始まります。
体だけでなく、最終的に心も統制するのがヨガの目的の1つ。
そして、心は体以上に 繊細でコントロールが難しいもの。
心に比べれば、体は粗大で扱いやすいもので、
粗大で大きなものから、より繊細、微細な 扱いの難しいものへと 進めていくことができます。

ヨガをする時間を、お茶席に入るときのように 特別な時間にしましょう。
ヨガに限らないことですが、あなたが行なっている物事はあなたの「命の時間」を使っています。
せっかく、あなたの貴重な 「命の時間」の一部を使っているのだから、「惰性」でも「消化」でもなく、その時間を最大限に生かしたいものです。

「いま この瞬間」やっていること、向き合っているものに意識を向けること。
お茶席のお菓子に向き合うように、自分自身を味わって向き合う。
同じ75分でも、あなた次第で その価値や収穫は変わってきます。

「いま この瞬間」に向き合う姿勢に必要なのは、ブラフマチャリヤです。
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