個性は“内部“にも宿る
あなたの好きな俳優の顔を思い浮かべてみてください。
では次に、その人と「同じ性別・人種」の、別の俳優を思い浮かべてみましょう。
目の雰囲気、鼻や顔の形…
きっとそれぞれの良さと違いを見つけることは簡単でしょう。
次は手について やってみます。
記憶にあるいろいろな手を思い出してみましょう。
思い出しにくいかもしれないので、これは画像も用意してみました。
(男女の区別なく混じっています)
爪の形、指の長さ、手のひらの肉付き…
こちらも案外 人によって違いが多いものです。
当たり前だけど、私たちはみんなそれぞれの特性を持っていて、みんな違っていています。
顔も、手も足の指の形も。背の高さも。
肩幅も、腰幅も。骨の太さも。関節の形も。
なのに どうして、ヨガのポーズの話をするときに、そのことを考えないでいるのだろう…
これは私自身の内省のための記録です。
私たちは、内側の内側まで個性的
過去にこちらの記事で、骨格によっては完成させられないポーズがあることに触れました。
上級アサナのいくつかは、人によっては骨格的(先天的)に完成させることができないものもあります。
全ての人が完成を目指して練習した場合、一定数の人が完成させられないし、その練習の過程を通して将来にわたって苦しむような怪我をする可能性があります。
自分自身で書きましたし 理解しているつもりでしたが、次の記事で紹介される写真を見て、事実の明快さに 自分の理解を問い直しました。
こちらの記事で例に取り上げられているのは、骨格の個人差と、それがアサナに与える影響についてです。
まずは、この記事で例に出ている股関節を 教科書的な解剖図で見てみましょう。
図の青線で囲まれた部分。
骨盤の寛骨球、股関節がはまるソケットになる部分です。
そこに収まる形で入っているのが、太ももの骨、大腿骨の骨頭です。
この解剖図は「Human Anatomy Atlas」からの引用で、特徴から男性の骨盤と思われますが、こうした解剖図を見るときに、これらが平均化した骨格の“ある一例“に過ぎないー ということを、私は強く意識できないでいたと思います。
骨格の個性による「できること」と「できないこと」
この記事で紹介されているのは、実際の個別の骨盤の違いです。
※この骨格は個性だけでなく性別も異なっている可能性があります
寛骨球の形、角度の違いが、実際の骨格を使って説明されています。
さらに、その股関節にはめられることになる大腿骨骨頭(太腿の骨の先端の部分)の角度の違い。
(角度が分かりやすくなるよう、元サイト写真に補助線を加えています)
Aさんには可能な前後開脚が、Bさんはどんなに練習しても180°にならないかもしれない。
Bさんには可能な左右開脚が、Aさんはどんなに練習しても180°にならないかもしれない。
それは練習方法の問題でも、練習にかけた時間や熱意の問題でもなく、
先天的な骨格の問題で。
顔や手や足の個性による違いは すんなりと受け入れられるのに、関節の可動域や骨の形は、外からはっきりと分からないせいか、個性がある前提で話が進んでいない気がします。
これほど明快な差・違いがあれば、その骨格を基にした体の動き、動かせる範囲の最大値に差が出るのは当たり前です。
人によって得意に感じるポーズが違っていて当たり前。
他の人が簡単に感じるポーズが、自分にとって難しいことは 十分起こり得ます。
この事実からわかることは、アサナの最終形は「練習さえすれば、努力すれば、必ずできる」ものとは言えないこと。
「最終形を完成させること」をヨガの練習目的にすると、苦しい思いをする可能性がある ということです。
“個性“あるこの体で、自分にとっての深め方を探求していく
このブログでもアサナの解説をいくつか記事にしていますが、自分としては いつも、「最終形を完成させることがゴール」にならないように、記事を書いているつもりです。
それぞれの方が、現状の体で深めていけるポイントを書いてきたつもりですが、それらは 私の体を通して経験してきたことを、解剖学の観点から記述してきたことです。
私の体の手応えがベースである以上、すべての人に合うとは言えないでしょう。
実際のところ、ヨガで最も大切なことは「自分の体と心を自分で確かめること」「自分の体と心を知っていくこと」。
それをベースに「自分の体と心を統制しようとすること」にあります。
どんなに優れたグル(導師)であっても、自分と違う体を持ち違う経験をしている相手の“コピー“をするだけでは、自分自身の理解は深まらないだけでなく、怪我を招く可能性があります。
誠実なヨガ講師なら、講師自身と これまで観てきた生徒を通して理解した事実を 歪みなく伝えられるよう努力していると思いますが、あなたは前述したその「どの人」でもないので、実際には完璧にフィットすることはないでしょう。
指導者のガイドを手掛かりに、最終的には あなた自身があなたの体の反応を確かめ、自分にとって「快適で安定するアサナ」を探していく必要があります。
心地よく深めていく 練習の過程を大切に
初めてのポーズ、難しく感じるポーズと向き合うとき。
そのポーズは、将来的に、体の特性で 練習すれば必ず「完成形ができる」ものではないかもしれない。
でも、ちょっと試して「私はできない体かも」とも思わないことです。
結果に執着せず練習ができていれば、Instagramで見るような形ではなくても、最終的に 自分に合った方法でアサナ(ポーズ)は深まっていきます。
「できるか、できないか」という結果ではなく、心地よく深めていく練習の過程に意識を向けましょう。
逆に言えば、なかなか深めていくことができないアサナには、自分の体の特性が表れているとも言えます。
骨格による先天的な問題か、筋肉の硬さ、弱さ、使い方の癖が強いなど まだまだ体が変わっていないからか…
理由はともかく、課題が見えてくれば、その分だけ「自分を知る」ことにつながります。
指導方法、指導者との相性もあると思いますが、まずは素直な気持ちで、指導者の説明に沿ってアサナに取り組んでみましょう。
その時の体の反応を観察します。
体の個性があるので、指導者が言う通りの体の刺激がなくても大丈夫。
危険な痛み ービリビリする、つっぱる、息が止まってしまうーものはすぐに負担のない形へ戻しましょう。
一方で 強い痛みであっても、「ポーズをやめた途端痛みがなくなるもの、逆にやめた後で楽になるもの、軽くなるもの、心地よいもの」は、「あなたの体にとってもっと使ってあげる方が良い部位」のサインであることも多いです。
「何が」心地よく、「何が」安定といえるか。
安全な痛みと、そうでない痛みの違いは何か。
今まで使えていなかった体の機能があったことと、それを使えるようになる感覚との出会い。
そうしたことを知っていくことで、「自分に合ったヨガ」が何か ーあるいはヨガじゃないものが合っていたということも含めてー わかってきます。
そうやって自分を確かめ 知っていく作業こそが、ヨガの大切な核だと思っています。