Culture

Re:Incarnation 記録映像について

今日は ある映像作品をご紹介します。

【 森山未來 / Re:Incarnation 】

「神羅万象ー切の命は死生の循環の中に」

2021年3月11日に清水寺で奉納された、森山未來による舞踏パフォーマンスの制作背景と 鑑賞者たちの解釈を交えた記録映像です。


何か心に「ちろり」と引っかかるものがあった方は、 まず、ぜひ 映像をご覧ください。

物事には出会うべきタイミングというものがあり、
自分にとって 必然的に出会うものもあれば、決して触れ合うことのないものあるので、すべての方に響くとは思わないのですが、
今そのタイミングの方にとっては、とても印象的な 内側を揺らすような作品です。

演者である森山未來の言葉もですが、鑑賞者である哲学者、経済学者、舞踏家たちの言葉も また、本質的で気づきに満ちています。

個人的には まだ、吸収はおろか 消化も不十分なのですが、
最近「カチッ」「カチッ」とスパークしながら、それがなんであるか把握できずにいた破片が、どれもこれも繋がるように出演者の言葉の上にのせられていて、
言語化に至らなかった感覚や考えが この作品を通して 混濁した水の中から水面に浮かび上がってきつつあるような感覚があり、この手応えを確かにしたくて もう何度か視聴したいと思っています。

当日の奉納の様子は かなり限られた方しか見れなかったようですが、可能なら「生で見たかったなぁ」と感じます。

過去に、別のコンテンポラリーダンサー 森山開次のソロ公演を見たことがあるのですが、会場内の空気が生々しく変化し、演者が 自身の皮を剥ぎ、臓器をむき出しにして見せつけるように感じられた場面がありました。

舞台とは距離があるのに とても近く、大物の獣を生きたまま解体するような グロテクスでいて、血肉と内臓的な 肉体の生命性を感じさせるものがあり、その時の経験から 舞踏は 本当に「その場にいること」「その場と時を共有すること」そのものが とても重要な要素であると感じています。

映像作品になると、その生々しさは払い落とされて大きく損なわれているように思いますが、それでも その一端が映像から窺えます。

この作品から受けたものを 自分の中にあるものと照らし合わせて言語化するまでには まだ時間がかかりそうですが、できるようになった時には、またここで記したいと思います。