Yoga

読んでも読まなくてもいい自己紹介


私の身体特性と身体活動の経歴

記憶にないが、10歳の頃にはO脚が始まっていたようで、母に「あんたは足の形が変やから、スカートは似合わんへんわ。履かんとき」と言われる。

反り腰もこの頃から。

5年生の時、学校定期健康診断で軽微の脊柱側弯を言われる。

鉄棒、器械体操、縄跳び、水泳など、体を動かすことは好きだったが、それ以上に絵を描いたり、手芸をやる方が好きだった。

私の町では、どの小学校も歴代、高学年になれば学年の女子全員がバレーボール部に入っていたが、指導者を含めて、ものすごーく縦社会で、悪口がいつもどこからか聞こえてくるような組織だった。
なんか、入部すると息をするだけで苦しそうだったので、建前上「自由」な加入制度に合わせて、入部しないことにした。
私以外、もう一人参加しない子がいたが、その頃の、同級生の保護者の振る舞いを思いだすと、多分学校で浮いていただろうと思う。

美術・音楽が好きだったので、中・高 文化部を選ぶ。

中学体育は何故か半分はバレーの授業で、小学校から続けている大会に出るレベルの人たちの中で、ボールの扱いも知らない状態の私が、基本ができる前提で6人制バレーに入れられていた。
当然、ボールを拾えない私は、チームメイトからの刺すような視線と舌打ちにさらされ、教師には「真剣に練習してへんからや!」と怒鳴られ、毎回鉛を飲むような気持ちで授業に出ていた。
この経験から、球技 ー 特にバレーは一切受け付けなくなった。

体育は、進級・進学する度 指導する体育教師が人権意識のない抑圧的な人になっていったため、それに比例して「体育」そのものも嫌いになる。

〈2000年〉
習っていたフラメンコ・クラスのストレッチで、開脚が90度もできないことがわかる。
さらに前屈はもっとひどく、ほとんど前に倒せないこともわかる。

〈2004年ごろ〉
デューク更家のウォーキングが流行る。

参加した講演会で デューク更家の弟子という講師に、私のO脚の膝に「ゲンコツが入るねー」と手を入れて確かめられる。

 〈2005年〉
ホットヨガを「綺麗になれる」 くらいの意識で始める。
高かったので、月2回をメドに通い始める。

 〈2006年〉
体験で行ったスノーボードの最中、急な斜面で転倒して ありえない方向へ足が向く。
が、骨折はおろか 靭帯の損傷もなかった。
唯一、翌日筋肉痛になった。
ヨガ以外 一切の身体活動をしていなかったので、この頃あたりから、「ヨガってすごいかも〜」と思い始める。

〈2007年〉 
ホットヨガがスタジオの経営不振で閉鎖。
通いやすい場所にヨガスタジオがなかったことで、ヨガからいったん離れる。

〈2010年〉
アルゼンチンタンゴに出会う。

目の前がタンゴ一色になるくらい、急速にハマる。
タンゴのクラス、ワークショップ、ミロンガ(タンゴのダンスパーティ)に通うようになる。
「上達への最短距離が何か」ばかり考えるようになる。

同じ頃 しず子さんと出会い、ヨガを再スタートする。

再スタートと言いつつ、これまでのヨガと、このヨガが全く違うことを自覚する。
「これだ!」という声を頭の中で、初回のクラス始まって5分で、閃光が光るように聞く。

週一回のペースで通う。

〈2011年〉
アルゼンチンタンゴの個人レッスンを受けるようになる。

講師のアルゼンチン人は、ことある度に「日本人はみんな歩き方が変」と言った。
タンゴは「歩くこと」によって成り立つダンス。
「ちゃんと」立てて「ちゃんと」歩ける人は、初めてでも踊れるもの。

歩き方に課題があるのはわかっていたが、正しく歩けるようになるためのアドバイスとして講師から言われたのは 「たくさん歩け」 だけだった。

〈2013年〉
タンゴの個人レッスン、ワークショップを続けていたが、この頃には、ミロンガさえも「上達のための苦行」としか思えなくなってくる。

さらに、踊る相手から「前より背中がカチコチになった」「踊りにくい」と言われることが増え、上達する気配どころか、持ち合わせていた良ささえ なくなってきたのではないかと思う。

〈2014年〉
タンゴが 好きで好きで好きで好きで好きで好きで仕方なかったが、嫌いになりたくなかった。

悩みに悩んだ末、嫌いになる前に 個人レッスン、ワークショップを含む 全てのレッスンをやめることにする。

〈2015年〉
気が向いたときだけ行っていたミロンガで、
ある時、自分のタンゴが前より良くなっていることに気づく。

立てる。歩ける。大地が踏める。
自分で自分を支えられる。

体が変わってきていることを感じた。

皮肉なことに、レッスンをやめてからの方が、自由で、楽で、楽しく気持ちよく踊れるようになっていた。

ヨガ以外の身体活動を何もしていない中で、ヨガが自分の体を変えていることを自覚する。

〈2016年〉
ベイエリア移住のために、しず子さんのヨガが続けられなくなる。
一方、移住後 時間が取れるようになったため、ヨガを毎日行うようになる。

〈2019年〉
そのための練習をしていなくても、ハヌマーンアサナ 、エカパダ シラーサナができるようになる。

アルゼンチンタンゴで 自分なりに楽しんで、男性のリードをフォローできるようになる。

今も 体もアサナも、 完璧に程遠いけれど 常に変化・進化し続けていて、
今が人生で最良の状態で それを更新しているという感覚がある。

ヨガ以外では 人間の活動の基本である歩行を「最も負担のない、正しい体の使い方」で 行えるようになることを目標に歩行訓練をしたり、苦手な動きと体の歪み矯正のため、ワークショップ受講中。


以上、読んでも読まなくてもいい 自己紹介でした。

これを書こうと思った理由は二つ。

運動経験がほぼゼロでも、ヨガは深めていけること。
体は変えていけること。

ご覧の通り、運動が嫌いな人間でした。

因数分解してみれば、体を動かす身体活動は嫌いじゃなかったみたいですが、体育教師の指導方法と彼らが作った「体育」という時間の空気を通して、「運動」が嫌いでした。
そして、自分に「運動が嫌い」の自己暗示をかけ続けていました。

そのため、自分から積極的にスポーツをしてきませんでした。


ヨガ講師の中には、バレエ経験者、エアロビ指導者、社交ダンスやアルゼンチンタンゴなどダンスでプロを目指していた人々が 結構な数 います。

ヨガをどれくらい深めているかとは別に、アサナだけで見ると、柔軟性やバランス力があることは 多彩なアサナが行える体が既にできている状態なので、こういう経歴の人には アドバンテージがある仕事に思います。
そして、若い頃からトレーンングを積んできた こうした方々の体つきは、歪みも少なく バランスが取れていて見た目としても綺麗なので、「ああなりたい⭐️」という憧れを持って見られたりします。

同時に、「でも私はそういう経歴がないから ヨガの上達はムリじゃないか」みたいな気持ちにもなったりするわけです。
私自身がまさにそうです、ホットヨガで習っている時 何度そう思ったか。

でも、今は経験から「体を変えることは、そうした経歴と関係なくできる」と考えています。


年季の入ったO脚や反り腰、脊柱の変形と歪みは今も影響しています。

脊柱は、10代の頃の脊柱側弯に起因するのか 胸椎7番周辺に変形・歪みがあり、この部分の動きの悪さが周囲への負担になって、時にひどい痛みをもたらします。
関節痛や高い発熱を伴う病気の時も、疼くような強い痛みが 最後まで残る部分です。

ただ、歪みがあってもカイロプラクティックの先生からは 「変形より動きが良いことの方が大切」と言われており、負担をかけないようにどう動くか、生活の何に気をつけるか、試行錯誤を続けています。
結果、負担の少ない体の動かし方について、色々と学べています。

足については、今現在 脛骨が膝の正中ではなく(スネの骨が膝の真ん中から始まっていない状態)ねじれがあります。
そのため、ハムストリングを長く使えるようになった今も、膝の可動域は理想的ではありません。

O脚を直すには手術が必要だと言われたこともありましたが、それでも グーが入ったO脚は、ほとんどスペースがない状態まできました。

反り腰はO脚の人に併せてよく見られるもので、私ももれなくそうだったわけですが、体幹の使い方とO脚の改善によって、かなり修正できています。

今後 ヨガにどれだけ精通しても、私の体は 米倉涼子さんのような美脚になったり、脊柱の変形がなくなるというような「完璧」に なることはないでしょう。

それでも、自分に与えられたこの身体を使って、自分の持てる要素を最大限使える 最良の状態に持っていくことは、自分の努力次第でできる。

そういうふうには 思っています。

ヨガを行うことで、波及する別の効果があること。

負担がなく、安全で、最良の動きができる体になることは、ヨガを通して得られることの一つ。


特に、体を支えて動きをコントロールする必要のあるダンス、体の力を必要な場面で最大限に発揮させる必要のあるスポーツなどには、想像以上の効果があると思われます。

タンゴの指導を受けていた頃、「肋骨を自分で持ち上げて、動く歩道にいるみたいに、上半身は下半身の影響を受けさせずに歩く」とか「大地を踏む」ということを言われたけれど、それは自分の体でどういう感覚で、どうなっていればいいのか、全くわかりませんでした。

読んでみてどうですか?

できる人からすると、「あの感覚ね!」って感じだと思いますが、
できない人には、もう 日本語を分解してですね、
「え、こういう感覚?これ?これあってる?」みたいな感じです。

経験したことのない感覚を、あれか これか、「今の体でできる範疇」で確かめていく作業。
それが、もし「今の体でできないこと」だった場合、できない体で その感覚は見つかるのだろうか…。

見つかったとして、それで正しい使い方ができていることになるのだろうか…。

あの頃、私の体はインナーマッスルが使える状態になかったと思います。

体は、準備が整わなければ、どんなにやりたいことがあっても、やることができない。
さらに、インナーマッスルが使えないならアウターマッスルに依存するしかなくなりますが、アウターマッスルを使ってやる動きは、外から見た感じ似ていても、
本質的に全く違うもの。

硬さを感じる(見た目も 触れても)、
動きが滑らかでない、
疲れる(長時間できない)、
力を抜いたら(インナーマッスルが働いてないから)急に姿勢が緩む 

など。

本当にやりたいことと全く違うことをもたらします。

そして、「それ」を習慣にすると、もう 本当にたどり着きたいところと、大きく大きく外れた場所に 向かうことになるんです。

タンゴに関しては、いったん離れ、ヨガで体の土台を整えてから、向き直したことが事態を改善させました。

どの分野でも、自分の体の状態に合わせて、適切な練習を、いつ始めるか ということが大切だと 個人的に思います。

スポーツでもダンス分野でも、案外、その本人の、土台となる体の基礎的な動きの評価は 蔑ろにされているように思います。
基礎の動きに問題があれば、ドリブルやらステップやらの前に、そのスキルの土台となる基礎的な動きができる体になっているか診る、体ができていないなら どうやって基礎的な動きを体に教えるか検討する必要があります。

私はスポーツトレーナーではないので、細かなサポートはできません。
しかし、ヨガを続けることによって、あらゆる身体活動に必要な動きの基礎を、全体的に底上げできるだろう と思っています。

ただ、取り上げた2つのことを経験するには 定期的で 結果を焦らない練習が必要になります。
(ヤマでいうところのブラフマチャリヤが練習に必要です)

それは時間がかかるので、できれば楽しみながら ヨガを続けられたなら、不可能でもなんでもなく、案外近く感じられる目標かもしれません。