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ただ、『あるもの』と『ないもの』があるというだけのこと。ーハイクとヨガの関係を思うー

初夏に行ったヨセミテ旅行では、10時間以上のハイキングに初めてトライしたこと、また ワクチン接種後初めての運動を伴う旅行となりました。

この一年間、ヨガの練習以外散歩もほぼしていない状態で 長時間のハイクをやったのは無謀

これは間違いないですが(笑)、逆にヨガしかやっていない状況のために、ヨガの恩恵とヨガがフォローしきれない部分について ある意味実験的に確認することができ、色々な気づきを得ることになりました。

今回は 自分の体の変化と体感をベースに、ヨガにまつわることを書いてみたいと思います。

ハイキングで感じた変化

「5時間以上 高い心拍数で歩くというのは、やっぱりかなり体の変化を促すものだな」というのが第一の感想です。

血流が変わった

上りの経路では、心拍はずっと早くて ホースに最大量の水を流すような、血管を流れる圧をずっと感じ続ける。

とにかく、すごく血流が良くなるのがわかる(良すぎて心配になるほど)。

というか、持久力が必要な動きって、酸素が体の各部分で必要になっているので とにかく心拍数を上げたり 血流がいい状態じゃなければそれに対応できない。

大げさに聞こえるとは思いますが、体の各部分の毛細血管の詰まりが吹き飛んでいるような感覚が実際ありました。

「足は第二の心臓」と言われますが、ハイキングでは足を動かし続けていることも、血流において大きな影響があると思います。

消化器の調子が良くなった

あとは、たくさん食べられるようになったこと。

COVID-19の自宅待避でジムにも行けず引きこもり生活が定着してきた頃、消化機能に対して変化が生まれました。

もともと食いしん坊で いくらでも食べられるし排泄も快調だったのですが、たくさん食べると消化機能に影響する感じが出てきたわけです。

年齢を重ねるにつれ、消化力は落ちます。

なので、年齢的なものかもしれない…と思って、この一年、夕食の動物性タンパク質を減らしていました。

ヨセミテに限りませんが、旅行中は自宅にいる時よりも食事内容に気を遣えないので、旅行中も消化器の調子が気になっていました。

それがハイキングをした日以降、すこぶる快調。

ヨセミテ旅行後は、1ヶ月ほど 何を食べてもどんな量でも「消化も排泄にもなんの影響も出ない」という、久々に消化吸収に気を使わない日々を過ごしました。

「アグニの火をつける」

ヨガの兄弟科学であるアーユルヴェーダ(サンスクリット語で“生命の科学“を意味する ホリスティック医療の一つ)では、「アグニ」という言葉がよく使われます。

アグニは、大まかに言えば「体の異化作用(消化・吸収・解毒の機能)」を意味し、健康な人を「消化、吸収、解毒の能力が高い人」と捉え、健康を維持するためには 「アグニを高めることが最も重要」というような考え方をします。

そして、アグニが低下すると 未消化物、分解できなかった毒素が体内に溜まり、蓄積したものが結果的に 心身の不調として表面化するというような考え方をします。

アグニの火を適切に保つためには、食材の選び方、調理方法や食べ合わせ、食べる時間など 食生活もありますが、運動習慣も アグニを高めることに入っています。

自分としては、西洋医学的な視点とアーユルヴェーダ両方の視点で 食事の量や内容には気を遣っていました。

運動ももちろん重要だと思ってはいましたが、定期的な運動としてはヨガを毎日やっていましたし、一時山中を歩いたこと、それだけで これほど影響を与えられるとは考えていませんでした。

というか、たくさん食べると消化酵素を消耗してしまうので、食べすぎるより量を減らしていく方がヨガ的だと思っていた部分があり、運動エネルギーで食事のエネルギーを減らそうというのは「カロリー計算で捉える世界」のように思っていたのです。

それが 劇的な体の変化を体感して、歩くことの重要性を実感しました。

また、昨年は もともとなかった月経前症候群(PMS)、月経初日の頭痛に時おり悩まされました。

そろそろ更年期が始まってもおかしくないので、そういうホルモン的乱れの影響かと思い、アーユルヴェーダのハーブを活用して症状に対処していましたが、旅行後 これもほとんど感じなくなりました(旅行後まだ数ヶ月なので今後は不明ですが)。

昨年感じていた不調が ほとんど取り払われたことに対して、この一年 全体的な身体活動量が足りていなかったことを感じました。

ここまで即効性があるとは思っていなかったので、このためだけにでも、私は長時間のハイクを定期的にチャレンジしたいと思ってしまいます。

「歩くこと」は 本来は人間の根源的な動き

ハイクでやっている動きは、歩くこと。

非対称的な動きが多いスポーツは 体の左右のアンバランスを生みやすいですが、それと違って、歩くことは 対称的な動き、人間の根源的な動き。
ー 人間を人間たらしめている動きの一つ。

さらに、舗装されていない、平坦でない道を歩くことは、人類の歴史の中では一般的でした。

そのため「歩くことが1番の健康」とも言われます。

平坦ではない場所を 数時間以上歩き続けるということは、

血流を良くすること、
消化機能を維持すること、
持久力を維持すること、
(平坦ではない道を歩くことで)身体感覚を磨くこと など、

多くの人にとって、簡単にトライできる 健康的な活動だと思います。

今回のハイクは、長時間だったので 即効性とその後の持続性がすごかったですが、何も5時間以上歩くようなハイクでなくても(極端なことをやると痛めるリスクも高くなるので)、もっと短い時間でも定期的に続けていれば 似たようなメリットを受けられるだろうと思います。

現代人の多くは体の使い方に癖がある

ただ、これはバランスの取れた体を持っている人に言えること。

現代人は平な面ばかりあるいている上、古代人ほど長い距離を歩いていません。
(特にベイエリアのような車社会の生活なら尚更です)

現代の生活で身についた体の使い方の癖によって、自覚はなくても 体のバランスが崩れている人がたくさんいます。

その場合は、アッパーヨセミテ・トレイルのブログでも書いたように、癖のある部分、動きの良くない部分には負担をかけることになり、将来への痛みや怪我につながるのではないかと感じます。


ヨガ以外の運動不足の人間が 今回長時間ハイクに挑戦してみたわけですが、一応 実践者は 体の歪みや癖を取り除き 身体感覚を磨いている(つもりの)ヨガ指導者です。

ヨガも健康にいいとか、ダンスやスポーツの動きを改善するとか言われていますが、ハイキングー
「平坦でない道を歩くという動きの継続」にはどうか?

ここからは、ヨガという身体調整をしてきている人間がやってみて感じた ハイキングと体の使い方の視点でまとめてみたいと思います。

ヨガはハイキングの動きを改善するか?

体の使い方

❶ 上り

急斜面を上るのに必要な踵を上げる動き、「腿上げ的動き」は普段全くやっていませんが、これは負担をほとんど感じませんでした。

息切れの問題さえなければ、足を上げ続けること自体は難しなく、ずっと続けられそうな感覚でした。

翌日の太腿の張りなどもありませんでした。

最近 ナタラージャのバランスポーズの練習で 太ももを胸に付けて抱え込むステップを加えていますが(右図)、この動きをどうやっているか振り返ることで、上りの時の体の使い方の評価につながると思います。


これを理想形でやろうとすると、人によっては「胸まで付けるのは苦しい」「力が必要になる」こともあるかもしれませんが、それは 本来やりたい体の使い方ではありません。


この動きで獲得したいのは 筋力ではなく、筋緊張のバランスと、股関節が使えるようになることです。

それができていれば 大腿四頭筋や腹筋に頼らず、大した労力なく 太ももを抱え込むことができます。

それと同様のことがここでも言えます。

ハムストリングの柔軟性、腸腰筋などの筋バランス、股関節が使える状態であれば、それほど体への負担なく足は上げられることを実感しました。

この状態であれば、体への負担を少なく、長時間登り続けられると思います。

❷ 下り

下りについては、岩場、砂地、木の根など、平坦ではない場所で さらに摩擦・触感・硬さが違う場所に足を置き、体を重力の向きを考慮して支えながら体の動きや速度をコントロールする必要があります。

これには、情報をキャッチできる足裏の感覚の鋭さと バランスを取るための 筋バランスや瞬発力が必要になります。

これは ヨガに限らず、平らな床を同一の重力方向で歩いてばかりいる場合は 磨くのが難しい体の感覚だと思います。

ですので、下りを経験して ふくらはぎなどはかなり疲れました。

ただ、歩いている地面の状況を察知するための感覚ー足場の状態を足裏から感じたり、しっかりと踏みしめる感覚ーについては、しっかり感じることができました。

私の場合は、これはヨガの練習(ヨガクラス前にやっている足の調整)で培ったものです。

4日間で20時間以上歩きましたが、足裏と足の指は(外反母趾傾向のある左足親指の付け根を除いて)全く痛くなることなく、歩けば歩くほど ますますよく動いて 快適になるくらいの感覚がありました。

持久力

持久力については、2年前に受けた運動能力検査(踏み台昇降運動の持久力テスト)で最高ランクだったので自信があったのですが、さすがに一年間引きこもっていたためか、ひたすら踏み台昇降運動をするような経路では、息が続きませんでした。

ただ回復が早く、少し休憩すれば呼吸も心拍も落ち着いて、またサクサク歩くことができます。

また、時間と共に歩ける距離が短くなることもなく、基本的に休息すれば、毎回同じ距離分登っていけました。

ずっと歩き続けられるような持久力はないですが、すぐに回復する類の持久力ならついていることがわかりました。

「ただ、ヨガに『あるもの』と『ないもの』があるというだけのこと。」

ハイキング上級者になるには、やはり もっと持続する持久力が必要になると思いますし、様々な足場の経路が歩ける コントロール力のある歩き方ができる必要性があるので、ハイキング自体の回数を重ねて強度を高めていく必要があるのは、当然です。

ですが ハイクが趣味だとして、毎回太ももが張ってしまうとか、膝が痛くなるという場合は、大腿四頭筋に頼る歩き方や、膝に負担のかかる使い方があるなど 体の歪みや使い方の癖が変えられていない状態だと思います。

その場合は ハイキングの回数だけを重ねても、逆に重ねた回数の分だけ、将来の痛みや怪我の可能性を 積み重ねることになるとは思います。

“これ一つで完結する“全ての動きや機能が含まれる「万能な運動」というものは存在せず、それぞれの特性を活かして 組み合わせて行うのがいいのだろうな…

そういうことを考えながらブログをまとめているタイミングで見た レスリーカミノフのwebinarで、偶然こんな話が出てきました。

ヨガの中で使われる動きだけでは「人間が必要とする運動の要素」全てを、カバーすることができない。

ヨガで全ての運動要素をカバーできるという考え方は、運動学的に合っていない。

(中略)

「ヨガが何を得意としていて、ヨガに足りない要素を どこから補うか」
私たちは これについて知る必要がある。

これは「ヨガに問題がある」ということでなく、ヨガに「あるもの」と「ないもの」があるというだけのこと。

Breathing Myths vs Breathing Reality
レスリー・カミノフ(「ヨガ・アナトミィ」の著者、医師・ヨガ指導者)

実に明確に、私が感じていたことを 運動学的な側面から指摘してくれました。

今回の例で私が感じたことをまとめると、

ヨガに「あるもの」:体の機能的な動き(負担が少なく、理にかなった動き)を身に付いていくこと
ヨガに「ないもの」:一日数時間程度では、歩行がもつような全身性の効果については十分達成されないもの

歩行に「あるもの」:全身性の健康に著しい効果があること
歩行に「ないもの」:「体の使い方の質」の改善そのものは 難しいこと

全てを網羅する完璧な“何か“があると思って、探し求めたり 固執したり 信じ込んだりするより、
さまざまな動きや 考えや 視点を、求めたり 知ったり、試みることで、欠けた部分を補い、長所を生かすことができ、
それによって、自分自身を よりバランスの取れた状態にできるような気がします。

今回のことで言えば、機能的な動きを身につけながら、単一的でない全身を使う軽い負荷の動きを続けるのが、互いの短所を補い合い合えるのではないか と思った、ヨセミテのハイキングでした。