Yoga

Brahmacharya ブラフマチャリヤ

ヤマの4つ目、ブラフマチャリヤについてみていきます。

Yama ヤマ(禁戒)

①  アヒムサ(非暴力)
② サティヤ(真実・正直)
③ アスティヤ(不盗)
④ ブラフマチャリヤ(禁欲)
⑤ アパリグラハ(不貪)

他人や物を含む周囲に対して守るべき5つの行動
環境や人々と良い関係を保つために自制すべきことがまとめられている

ブラフマチャリヤ
(禁欲・エネルギーの正しい使用)

「ブラフマチャリヤに徹する者は、ヴァイタリティを得る」
“Being established in Brahmacharya the yogi acquires vitality”
ヨーガ・スートラ Ⅱ−38

Brahmacharya(brahma-charya)
Brahman: ブラフマン
Charya : 動くこと、追従すること

ブラフマチャリヤと後に続くアパリグラハは、「離欲(ヴァイラーギャ)」のための行動の項だと思っています。

ブラフマチャリヤの理解は、私にとって長い間、なかなか捉えきれないものでした。

というのも、一般的には、celibacy(宗教的理由による独身)、日本語訳では「禁欲」ー異性と性的関係を持たない、その欲求を持たないというふうに書かれることが多く、続いて「エネルギーのコントロールだ」とあるのですが、具体的にはそれがどういうことか 自分との生活に当てはめて考えにくかったからです。

今回は、語源に戻り、限定的ではなく、より俯瞰的なブラフマチャリヤについて考えたいと思います。

ブラフマンの行い

語源に戻れば、「ブラフマンに至る行為」、「ブラフマンの探究」、「ブラフマンの内に生きること」という意味になります。

ブラフマンは、インド哲学において この大いなる自然の世界の摂理を司っているもの。
外界に存在する全ての物と全ての活動の背後にあって、究極で不変の現実のこと。

訳には「創造主、または神」を当てることが多いですが、自然の摂理そのものであれば、宇宙 とも捉えられます。

自然の摂理に至る行為。

例えば、太陽は。

その体を燃やし続け、地球を照らし出し、光があたる部分が昼を、生まれた影は夜を作りました。
地球をあたため、大気や水、大地の比熱の違いで 気流や海流を生み出し、緯度によって太陽の動きが変わり、大陸ごとの気候も生まれました。
光は植物を育むことで、全ての命の循環の基となっています。

太陽も、寿命があり いずれはチリになってしまう存在ですが、存在の偉大さに 誰が気づこうが気づくまいが、ただ、その役割に沿って、働いて ー行動しているだけです。

そしてその行動は、チリになることに怯えて力の出し惜しみをしたり、何かを懲らしめるために、何かに恩を売るために、その働きを変えることがなく、行動は影響を受けることがありません。
ただ、自分に与えられた摂理を体現している。

全ての物事が、生命が、与えられたその役割に沿って、調和の中で働いてる。
自然の摂理は、自分が何を受け取れるか、奪われるかではなく、ただその役割の真理にそった行動を全うします。

行動することと その結果

私たちが行動する時はどうでしょうか?

「評価を上げるためには、この食事会には出ないと」
「間違ってると思うけど、従わないと孤立するかも」
「きっと失敗するから、やめておこう」
「よくしてもらうために、何かギフトをわたそう」

「得をする」と思うからやること、「損をする」と思うからやめること。
「うまくいく」と思うからやること、「うまくいくかない」と思うからやらないこと。

何かをしようとする時に、人は「その結果がどうなるか」を 無意識に やるかどうかの判断にしています。

以前に経験した「快」の感覚を、再び、あるいは前よりもっと強く得ようとすること。
以前に経験した「不快」の感覚を、前より弱く、あるいは完全に避けようとすること。

ヴェーダーンタの聖典、バカヴァッド・ギーターでは、プラスであれマイナスであれ、行動に影響を及ぼす過去の結果にもとづいたこうした欲求を、「執着」と表現しています。

自然の摂理のように、サティヤで真実を見つめ、その真理に従って、やる。
誰から評価されずとも、得をしなくても(時には損をすることもある) そのことを気にせずやる。

そのように、やったことの結果に やる前もやった後も縛られず、怯んだり、迷ったり、後悔しない。

結果に影響されない人は、揺らぎがないために、力強くエネルギーに溢れています。
スートラ「ヴァイタリティを得る」の表現はここからきているのだと思います。

キング牧師、ガンディー、ネルソン・マンデラ、スピノザ、ゴッホ、ルソー…

歴史の中で、例えばその時代に評価されなかったとしても 大きなことを成し遂げた人々は、周囲の評価や資産的に得られるものに基準をおかず、自分の信念に従って行動し続けた人だと思います。

そのような行いが ブラフマチャリヤなのだと思います。

けれど、偉人になる必要も それを目指す必要もありません。
(それすら、行為の結果への執着です)

そうではなく。

自分の人生に何が重要か考えましょう。

自分がやるべきことと やりたいことが何か 見つめましょう。
自分に与えられた役割としてのやるべきことも大切ですし、魂が求めるやりたいことをやるのも 「生ききる」上で大切です。

もちろん、「やるー行為する内容」が、
アヒムサ(非暴力)に照らし、
サティヤ(真実・正直)に照らし、
アスティヤ(不盗)に照らしてみて 
価値があるか考える必要はあります。

その判断ができたら、
結果がどうあれ、やること。
人がどう言おうと、行為の結果に執着せず、それに取り組むことだと思います。

これが、ブラフマチャリヤの本質的な行いだと思います。

行為を厳選する

ただ、なかなか 行為の結果に執着せずに(影響されずに)行動することは難しいことです。

行為の結果に執着(影響されて)しまうなら、その執着(影響)が減るよう、行為そのものを厳選する方が簡単かもしれません。

家事や育児、仕事など 自分の与えられた役割としての行為。
そして、自分の生きる意味となっている行為。

それ以外の行為、あるいは 本質ではない行為の中で、日常化しているけれど、
あなたの時間や体力(内臓への負担を含む)、判断のための労力を奪っている行為、感情的揺れを与えている行為を考えてみましょう。

空腹を感じないのに 習慣化している間食
陰口のような噂話への 返答に迷うメッセージのやり取り
別のことでスマホを出したのに、気付いたらSNSに時間を使う
楽しくも有意義でもないけれど、グループのつながりのために参加する会合

人によって何が厳選される行為かは 当然変わります。
自分のやっているたくさんの行為(“やらない”も行為です)を、サティヤな視点で 観察してみましょう。

選んだ行為を 少し制限する、そこから離れるようにしてみると、思いのほか解放されて 楽になるはずです。

欲望との距離を保つ

このブラフマチャリヤは離欲についての項と最初に述べました。

欲望を強く焚き付けてしまっている行為についても考えてみましょう。

情熱は、私は、生きていく上で必要な いのちの灯火だと思っています。
熱情があること自体はとても魅力的で、人生を輝かせます。

ただ熱情にも色々あります。

不倫
ネット・ゲーム依存
賭け事
中傷

サティヤな視点で見て、アヒムサ(誰も傷つけない)で、アスティヤな(盗みではない)情熱ですか?

スポーツに打ち込む
美味しいものの食べ歩き
美術品を愛でる
旅行をたくさんする

一般的に好ましいと思われる熱情も。
その熱量が範囲を超えて、渇望 ー他を燃やし尽くすほどになっていませんか?

どちらも、ものすごく お金や時間、体力、思考や感情が 常にそれに向けられ続けると、与えらえた役割や本質的な願いに向けるエネルギーが奪われます。

ある行動が欲望を掻き立てすぎることに気づいたら。

その欲望に対する反応を 自分がコントロールすることが難しい場合は、触れる回数を減らしたり、時間や金銭的制限を設けて、距離をとることで、心への影響を減らすことができます。

【 アサナにおける ブラフマチャリヤ 】

アサナにおけるブラフマチャリヤは 実にシンプルです。

ヨガの練習中に、ただ「練習する」。
それ以外のことを 手放すこと。

それは、

「もっと柔らかくなりたい」
「あのポーズができるようになるためには」
「バランスを崩してしまった、恥ずかしい」
「ヨガを続けたらきっとこういう自分になるはず」

といった、判断、期待、目算を持とうとしないことです。

淡々と、ただ 練習するだけです。

淡々と 期待や目算を交えずに練習することで、現実を脚色なく(サティヤに)見られるようになり、本当に使いたい部分、使えるようになりたい部分を 体が教えてくれていることに 気づけるようになります。

淡々と、ただ練習する。
とてもシンプルです。

ただ、実際は簡単ではないことに気づくでしょう。

やはり私たちは、何か行為する時に 結果を期待してしまうからです。

「行為をただ行為としてやる」
「やったことの結果が どうであれ影響を受けない」

ヨガの練習を続けると、それができていた瞬間があることに気づくことになるでしょう。

この感覚が アサナの練習を通して経験されること。
実は、これが最も大きなヨガの果実ではないか と思うことがあります。

結果の成果に囚われてしまうのが人間で、大抵はそこから逃げられない。
だからこそ、その感覚を経験できるヨガの練習は、私にはとても貴重なものです。

この項目をもう少し具体的に話しているのは こちら

【 COVID−19流行期における ブラフマチャリヤ 】

この非日常の中で、ブラフマチャリヤの本来の意味「行為の結果に執着せず行為を遂行する」のは、並大抵のことではありません。

もちろん出来る人もいるでしょうが、普段から意識していないなら「行為を厳選する」「欲望との距離をとる」方が 始めやすいと思います。


ここからは自分自身への戒めでもあります。

ここ最近、私はTwitterでの情報収集が中毒になりつつあります。

正しい情報を集めたい。
有用な情報を集めたい。
日本の現状が知りたい。
人々が今どの状態にあって、どう考えているのか知りたい。

情報の真偽を確かめることに感情的揺れはありませんが、差別的な表現、命を軽んじた対応を情報として知る時、強い怒りが燃えたぎっていることがあります。

Twitterと適切な距離をとる必要がある と感じています。

サティヤな視点を持つためにも 情報収集は大切ですが、不安が広がっている状況下には 精度の良くない情報もたくさん混じっています。

単純にデマであったり、不安を煽ったり、対立を深めるような内容も多いです。

精神的疲労や時間浪費に気づいたら。

正確な出所からの 必要な情報収集が終われば、「COVID-19関係の情報を見ない」ということも 一つのブラフマチャリヤかもしれません。


これとは別に、マーケットでの買い出しも 私には負担に感じる部分があります。

空になった棚、何人家族がいるのかわからないけれど 恐ろしいほどの量を買い込む人、うつされたくないと思う人の過敏な反応…
こうした環境の中で、以前と変わらず、何事もないように買い物することが 私にはできないからです。

「揺れまい」と思いながら やはり影響を受けて、強いカフェインを取った後のように、脳がキンとする意識で商品を手にとっています。

このことから、買い出しの機会を出来るだけ絞り込み、あの空間に触れる回数を出来るだけ減らしています。


大切なのは、アヒムサ ーあなたを守ることです。

自分が穏やかで安らげる環境を、集中するべきことに意識を向けられる状況を、 
意識的に整えましょう。

全てが平静でない今は、自分の想像以上に 心身が影響を受けていて、さらに周囲の影響を受けやすい状態にあります。

普段よりも、心乱れる行為から 距離をとる意識が大切です。


最後に。

ブラフマチャリヤでもっとも苦しいのは、自分に与えられた役割の その行動を全うできなくなることかもしれません。

飲食業、俳優業、イベント業、美容サロン、ペットシッターなどのサービス業…

私自身のヨガ講師業もそうですが、ロックダウンによって、人々との対面的な関係が取れないことで、自分に与えられた役割を 全うすることが難しい人がたくさんいることと思います。

人生には 幾度か、
自分では、自分の努力だけでは どうすることもできない大きな苦難、逆らいようのない流れと 出会うことがあります。

安易な救いはなく、この痛みを 受け入れるしかないこともあります。

どうか 痛みを感じる全ての人に 光がありますように。

そして、苦しみの中からも 何か新しいものを 拾い出すことができますように。