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身体を使うこと ー砂浜を歩くー

カーメルのビーチは砂浜だ

それも、目の細かい 肌あたりの良い、白い砂浜

残念なことに、秋の一時期以外は、曇天のような霧がかかる地域らしく、
訪問した時も、浜辺は太平洋から来る 冷たい潮風に包まれていた

裸足で歩いてみることにする

夜に潮が満ちてこなかった場所は、輻射熱のせいかほんのり温かく、
ふかふかする砂の感触が心地いい

想像以上に、足裏は細かく情報をキャッチして、
自分がそれを感じとれていることを楽しむ

けれど、沈んでいく足は不安定だ

踵も指も 不規則な方向に向かって沈んでいき、
無意識に踏みしめようとする反応が 体のいろいろな部分で起こっていることを感じる

「これは鍛えられそうだ」

トレーニングと思って、しばらく そのふかふかした砂地を歩いていたけれど、程なくしてやめた

これは疲れる

代わりに歩き続けたのは、波際だった

波打ち際から少し離れたところは、潮が舐めた結果 砂地が引き締まっている

想像通り、潮は冷たく、引き締まった砂地も同様で 歩けば足元から冷えてくる

それでも、足が大地を感じ、踏みしめ、押し返され、前に踏み出す感覚は、
アスファルトの上を 靴で歩くのとは全く違った感触で、

一つ一つの動きが 鮮明に、詳細に 丁寧に 
「歩く」ということを 私に伝えてくれる


ダーウィンの『種の起源』によれば、生物の進化は、自然選択 ーその環境に最適化した結果によるという

猫は体内でビタミンCが作れるので植物を食べる必要がない。
しかし、植物の毒素を分解する酵素がないので、食べることで 場合によっては中毒死することもある。

逆にヒトは、定期的に植物を食べるようになったため、体内でビタミンCを合成できなくなった。
けれど、他の動物に比べて毒性の高い食物を解毒・消化することができる。

「体内でビタミンCを生成できる機能があったのに、なんで手放したのか」と思うかもしれないけれど、

周囲を見渡せばすぐわかる

デスクトップPCは仕事の処理性能は高いけれど、重くて大きくて 持ち運ぶのには適さない。

タブレットは軽くて利便性が高いけれど、持てる能力は制限される。

この体は、または世界にある無機物・有機物で構成された全てのものは、
有限性のある物質で構成されていて、
もし進化の過程(機能)の全てを抱えていたら 重くて大きくて動きが悪くて
逆に何もできないだろう

だから、自然はみんな最適化している

私たちは、必要のないものを手放し、周囲から借りられるものを利用して生きている

歩くということも。

「宇宙飛行士達が月面で転倒する」動画が少し前に話題になったけれど、
重力という「当たり前」に当てにしていたものがなくなると
私たちは 途端にまともに歩けない

重い頭部を最も負担のかからない重心延長線上に置き、その重心を変えて動く

自分の体重を、重力の力と合わせて、大地にのせる

「踏む」

しっかりと「踏める」地面なら、

その力の分だけ、押し返されて それが次の力になる

生まれた力を 逃さないように、殺さないように
無駄にしないように使いたい

そのための、 骨の重ね方 筋肉のバランス 関節の使い方

だから 私たちは、自分の力だけで 歩いているのではない

筋肉の力なんて たかが知れている

あるいは、筋肉の力を使う方が 不自然で不格好な動きもある

重力が、踏みしめられる大地があって、
その環境の中で、借りられるものを使って
自分の身体のかたちと構造を生かして 
その中で 必要な力だけを使って、

その力を 「扱う」ことで、
ようやく 負担なく、自然に 歩くことができる


「鍛える」という言葉の意味について 考えている

「鍛える」というと、筋肉を強くすることがイメージされやすいように思うけれど
それだけを指すのではないと思っている

それでも もし、「鍛える」という言葉が、ある一定のイメージしか伝えられない構図なら

私は「磨く」という言葉を使いたい

最適な動きができるように、負担のないかたちで支えられるように 
自分の身体を整えて、
今いる環境の中で使えるものをひろって、
求められる、大きすぎず 小さすぎない力を
必要な部分でだけ 使って。

周囲から与えられる力を受け入れて、体に流したらまた環境へ放つ

そういう身体の使い方がしたい

最も疲れず、負担がなく 安定して、全身で歩ける

どこまでも歩ける

そんなふうに歩きたい

トップ画像は、残念ながらカーメルではなく、ユカタン半島のコスメル島の浜辺