Yoga

Asteya アスティヤ

今回は、ヤマの3つ目 アスティヤです。

Yama ヤマ(禁戒)

①  アヒムサ(非暴力)
② サティヤ(真実・正直)
③ アスティヤ(不盗)
④ ブラフマチャリヤ(禁欲)
⑤ アパリグラハ(不貪)

他人や物を含む周囲に対して守るべき5つの行動
環境や人々と良い関係を保つために自制すべきことがまとめられている

アスティヤ(不盗)

「不盗を確立した者のところに、すべての富が努力なく集まる」
“In the presence of one who is established in non-stealing,
all treasures effortlessly come to him/her”
ヨーガ・スートラ Ⅱ−37

Asteya
a = not(否定を意味する), steya = 盗むこと

字の通り「盗まないこと」です。
多くの人が、これをしないのは当然だと思っているだろうし、積極的に盗もうとする人も多くないと思います。

けれど、一般的に想像される盗み以外に、日常の中で 意識せずにやってしまっていることもあります。


約束の時間に遅れたことは?
みんなでシェアする物を、自分だけ少し多く取ったり、保持していたことは?

自分が使う予定のない物を、自分で保管して、他の人が使える機会を奪うこと。
みんなで話すときに、他の人の発言する時間を奪って話すこと。

誰かの人生の時間を無駄に費やすこと。
誰かのアイデアを自分のもののように使うこと。
みんなと共有すべき物・事に、少し自分が有利になるようにすること。

こういうことも「盗み」に入ります。

基本的に 奪わずして生きていけない私たち

そして、大きな視点に立てば、地球上の 自然にある資源をー水を、空気を、大地を、なにかの命をー 
私たちは常に奪って生きていて、実際は 盗んでいないことがない…

けれど、それは自然の摂理の中に組み込まれているからこそ、
受け取ったことを資本に、誰かに、環境に、何かに還していけるなら、それは盗んだことにならない とされています。

アスティヤの原理について、サッチーダナンダは「自然は 独占しようとする者へは与えず、奪う。自由に行き来を許し 与えられたものに満足している者に、信頼して与える。」と、インテグラル・ヨーガの中で述べています。
だから結果として、スートラの表現で、アスティヤを行うものには、自然から常に与えられ続けるということになるのでしょう。

常に、今あるものに満足し、与えられていること、与えられたものに感謝しすること。
今保持しているものが「自分のもだ」と思わず、出ても入ってきても執着しないこと。
与えられたものによって生かされていることを忘れず、その恩恵を 他のものへ返して循環させていくこと。


これがアスティヤの鍵になります。

【 COVID−19流行期における アスティヤ 】

不安と欠乏感に 自覚的になる

かかることへの不安。うつされるかもしれない不安。
社会機能が停止していく不安。
そして、商品の減った棚を見て「自分の分がなくなるかもしれない」という不安。

不安に支配されると、人は不可欠な物を普段以上に手に入れ、自分の周囲に置いておきたくなるようです。

もう皆さんは 各地で起きている買い占め騒動を知っているはずです。

解脱を最終目標にするヨガの指導者達は、ここで「買い占めではなく、分け合うべきだ。必要最低限しか保持してはならない」と徹底的に否定されますが、私個人はそんなふうには言えません。

この湧き上がる感情・欲望は、人が生き延びようとする根源的欲求でもある と思うからです。

私たちに 自分という存在を「生き延びさせよう」という、もともと備わった性質が、環境の変化によって 自動的に強まった結果だと思います。

これ自体を否定することも、なくすことも、人がヒトである限り 難しいと思います。

ただ、これに無自覚でいるとどうなるのか。

「当面必要な量」以上を、自分の不安・欠乏感を満たすためだけに、買い込んでしまうことになります。

「別に余った分は安心料として、最後に腐らせて捨ててもいい。腐らないものは10年後に使ってもいい」と思うかも知れません。

けれど、そうやって余剰になったものは、本来自然のものであり、地域の人々(生き物)とシェアすべき資源です。
地域の人々がそれを活用できない状態、誰にも使われない状態で価値がなくなってしまうこと(あるいは、長い間価値がない状態で置かれること)は、奪う行動と同じー「盗み」になります。

まずは、自分の不安感、欠乏感を認めましょう。

非日常の中、自分が揺らいでいることを認めて、受け止めてあげましょう。
サティヤ(真実・正直)の項で確認したように、自分の本質的な欲求の真実を 見つめてあげましょう。

その後は、それが本当に 今必要なのか考えながら、買うかどうかを自分で判断してください。

カルフォルニアでは、Countyの通達にあるように ライフラインに従事する人は仕事を続けており、生活必需品は以前と同様に生産・供給されています。
全ての人が、普段通りの購入を続けていれば、本来誰も困ることはないはずなのです。

自分たちの「必要量」を考えましょう。

自分の不安による行動が、誰かの苦しみ(ヒムサ)を生んでいないか、誰かの分を奪って(スティヤ)いないか。

あなたが自分の不安をグッと堪えて買いだめをやめても、商品棚の状況は変わらないかもしれません。
私も、一人二人が行動しても、どこかで誰かが苦しんでいる状況を、すぐさま変えることはできないだろうと思います。

けれど、アスティヤをする必要性はそれだけにありません。

自然の調和を乱すことの結果

ヨガでは 自然はバランスを取ろうとする原理があると考えます。

もう一度サッチーダナンダの言葉を見てみます。
「自然は 独占しようとする者へは与えず、奪う。自由に行き来を許し 与えられたものに満足している者に、信頼して与える。」

私たちが、むさぼったり、必要以上に保持した行動が、摂理として、自分の人生のどこかの段階で(ヨガの考えでは前世や来世も含みますが)、何かー
健康、財産、家族などを 失うことにつながる。
そうしたバランスの力が働く という解釈です。

不安や欠乏感で行動しそうになる時、これを思い出し、自分の行動を選ぶことができます。

忘れないでください。どの行動を選ぶことも 自由です。
どの行動も「悪」ではないと、私自身は思います。

ただ、私たちはとった行動の結果を、どこかで受け取ることになります。
それさえ、理解できていれば、今の不安を優先することも、将来の不安を減らしておくことも どちらを選んでもいいと思っています。

それさえわかっていれば、今であれ、先であれ 
苦しみを経験する時、その苦しみも受け入れやすくなる。

そういう意味でも、心穏やかに生きやすくなります。